
H24年度 岩倉流和歌山水練学校
6月13日開校予定
(講習会ページ)
H23年ー24 オフ・シーズン講習会
次回は5月 20日です。
ご意見ご質問は
掲示板で
第60回日本泳法研究会
3月17日・18日水戸で
盛大に開催されました
《テーマ水府流》
第56回日本泳法大会
男子泳法競技優勝(連覇)
男子支重競技2位
練士合格者1名
(活動だより)
h23年度 岩倉流和歌山水練学校は
閉校しました(講習会ページ)
7月31日 平成23年度遠泳実施
参加者6名(活動だより)
『岩倉流三百年のあゆみ』発刊
(和歌山市の各書店にて発売中)(活動だより)
H22年ー23 オフ・シーズン講習会終了しました
(講習会ページ)
平成22年9月26日(日)岩倉流300周年記念祝賀会
(活動だより)
☆ 第55回日本泳法大会 泳法競技男子の部優勝
支重競技男子 2位
(活動だより)
第59回日本泳法研究会/H22年3月20日〜21日香川県高松で開催される
(活動だより)
平成21年3月21日〜22日和歌山市で盛況のうちに
第58回日本泳法研究会が開催されました(活動だより)
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現在、(財)日本水泳連盟では日本泳法の内、12の流派を公認しているが、其の一つ岩倉流は、紀州五代藩主徳川吉宗公が、家臣の岩倉郷助重昌(知行千二百石)に宝永七庚寅年(1710年),諸士水芸世話を仰せ付け、藩士の水芸指南を命じたことを起源としている。
吉宗公が八代将軍になられた時、重昌門弟の吉田丹冶、田原何唯七等が、江戸深川越中島の水練所で、諸番士に水芸を指南した。
その後、重昌惣領 郷助安員の養子(安員の弟)弁左衛門安正は宝暦八戌寅年(1758年)に水芸弟子指南を仰せ付かっていたが老齢のため、藩に願い出て、明和八辛卯年(1771年)その高弟川上傳之丞直信に指南役を譲る。川上傳之丞直信の後、川上勝次郎直延、川上傳右衛門と伝承され川上新十郎直幸の時代、明治維新となる。
廃藩にともない明治6.7年頃、紀の川で水練道場を開く。
その子傳之丞は明治三十九年(1906年)に職員と練習生約五百人を引連れ大日本武徳会和歌山支部水練部に入り水練部長に就任する。この時代、川上流と言われたこともある。
昭和二十四年(1949年)川上傳之丞、その惣領 弘の連名で宗家承認書を、高弟 湯川 公美に贈り伝承を許す。
昭和三十二年(1957)年公美死亡によりその子湯川節雄がこの遊泳術を継いだ。
湯川節雄は岩倉流和歌山水練学校を開校し普及に努めていたが高齢のため、平成十四年一月十四日、その子第十一代湯川達也連名で、高弟の那須賢二に承認書を贈り第十二代宗家を托し現在にいたる。
当游泳術は昭和四十年(1965年)四月十四日より和歌山県指定文化財になっている。
泳法は、平泳、立泳、水入を基本に抜手、鯱泳、虫泳、浮身、太刀泳、瓜剥などの他、鰡飛を初め掻分、片手掻分等の跳飛術を特技とする。
また、大旗の合図により甲冑を着た者を先頭に刀、弓、槍、鉄砲などを持った者が行列でその後を泳ぐ,御旗奉行、紀伊の花と呼ばれる花傘行列等の団体泳法も有る。
現在、和歌山市に岩倉流泳法保存会があり、岩倉流和歌山水練学校が、綿々と同流を伝承している。また、毎年(財)日本水泳連盟の認定日本泳法12流派の一つとして日本泳法大会に参加している。
平成17年にNPO法人 WISCが設立され岩倉流泳法を「和歌山の泳ぎの文化に」と活動している。
尚、現在でも、脈々と各地で泳がれている日本泳法を、(財)日本水泳連盟、岩倉流では、何か古ぼけたようにイメージをうける古式泳法とは呼称しないように心がけている
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和歌山県無形民俗文化財 |
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